明確な目的など判らなくて、ただ歩く。

目的が定まらないのであれば、目標を設定するのはどうか?



立ち寄るだけで良い。

夢の中に続く、“渡り” を繋げる事さえできれば、それで十分なのだ。



導きの錫杖の音が響く。




導かれた者は、風が木の葉を散らした跡を見詰めていた。







予兆があった。

それは、とても、とても、細やかな予兆。

だから本人以外で気付ける者は、殆んどいない。













彼は「君にはもう、悲しい思いをさせたくない。」と言った。


彼女は一人、気紛れな旅をする。

夢見る月の暮れる前、凍えそうな小雨に迎えられ、宿に入った。

翌日は寒空が晴れ、屋根の上のちょうど左側半分だけに積もった名残雪が、陽光に照らされてきらきらと溶けていく。

冷たい空気は爽やかで、早朝の一時を心地の良いものにしてくれた。

一人旅の淋しさと、一人故の気軽さが入り交じる。

橋を経れば領域で、気付く者は只一人。

心の内で淑やかに挨拶の言の葉を浮かべるに止め、秀でる事も、劣る事もなく、凡凡とその場を後にする。

対をなすのは、美しい朱塔の建つ場所。

そこに繋がる小路を往けば、ぽつんと一人になっていた。

小路を抜けて、堂の前を横切る頃に婦人二人とすれ違う。

垂れ籠める雲は、強風に細雪を乗せ、逆風となり行く手の先を阻まんと押し返してくる。

春の花の固い蕾を多く付ける樹は、風に揺れ、早咲きの華へ白い結晶がすがり付く。

傘をさしても邪魔になるだけの風は、緩まる事なく、拒み続ける様に吹く。

無邪気に楽しむ相手は、それでも進み続けた。

大堂の中からは、多くの徒が声が響く。
大堂の前入口には、多くの客の靴が並ぶ。

幾人かが風と雪に負けて、中へ駆け込む。

それに倣って、靴を脱ぎかけ止めてしまうと、小さな書が連なった物に印の享受を求めに進む。

書を手渡せば風は緩み始め、少しばかり悲しい思いをする事となった。

受け取った後の靄がかった心を表すかの様に雪は止み、風は勢いを喪失していく。

朱塔に踏み入れる事もせず、とぼとぼと帰り道を選択し、箱に揺られながら展望する。



結界に弾かれる事も、拒まれる事もなく、何の予期もなく、唐突に訪れた細やかな異変は、一時の些細なものではあった。

原因が判らず、要因も定かではない状況の中、きっかけらしい娘を見付けた。

一人、のほほんと流行りの旅をしにきた珍客は、じっと窓の景色だけを眺め、頑なに外だけを見詰めていた。

彼女は『まだ、時じゃない。』と心の中で告げていた。

何も掴めぬ状態で、深追いもできず、無闇に声を掛ける訳にもいかず、見送る事となる。






不思議と客の一人は箱の中に残り、運転手に一言告げると、再び同じ客を一人だけを乗せて動き出す。

理由もなく、原因も自覚せぬまま、何事もない様子で帰路への歩みを進めつつ、小さく胸を撫で下ろす。






彼は、大いに心痛めていた。

彼に「すまない…。」と言わせたかった訳ではなく、拒まれているのを承知で「暫く来られる機会がないから。」と無理に進んで、勝手に一人撃沈したに過ぎない。

誰のせいでもない。

単純に巡り合わせと虫の居所のタイミングが悪かっただけなのだろう。

向けられてしまった心の意味を汲み取ってしまったが故に、少なからずスッキリしないモノは確かにあった。

それでも、想われる事の心地良さを感じれば、くすぐったくて仕方ない。

悲しげな彼に「ごめんね。」と困った様に伝えれば、彼は溜め息をつき「厭きずに来るのだろう。」と呟いた。













小雨の中、一人傘をさして遠出した。

主不在の中、留守を預かる結木が忙しそうだった。

しかし、主が不在なだけで、ここまで空気感が違うとは思わなかった。

抜け殻の様な寂しさが社にはあり、空である事を沁々と実感してしまう。

願う事はなく、細やかな祈りだけを伝える。

ちょうど小雨も止み、言伝てを受け取り、お土産と気分転換の散策を済ませて帰路へつく。












銀杏の葉が染まり始め、紅葉が雨後の湿った道の上に落ちた。

雨降り後の空と空気は、清涼感を感じられた。

線香の薫る古堂は、静かに賑わう。

帰りのバスの時間までには、まだ余裕があった。

着いて間もないのだから、当然と言えば当然だった。

バス乗り場付近の茶屋で一息ついていると、お客として来たのかと思われた袈裟を羽織った初老のお坊さんは、茶屋の屋根の下を通り抜ける。

狭い軒下には、他にも客がいて、近道をしたかったのか、おうしゃくなお坊様がお茶目に通過して行った。









夏、秋が少しずつ姿を見せ始める頃。

雪の様な軽い雨がひらりらと舞う様に降る。

宛のない気紛れな一人旅は、時の迎えに伴い、此処から必要なくなる。

彼女が自力で巡れる範囲の最後の地。
















『導きの錫杖』と『攘災の鈴音』は、界境を迎える時に揃う様になっていた。

彼女がその日までに心を決め、動き出しているのであれば、未来のその先へ続く扉は開かれる。

それは細やかな中に眠るモノ。

「君は特異性を秘めながら、特異点とはならない事を選んだんだね。」と、彼はそっと言葉を紡ぎ微笑んだ。


普遍的なモノが誰しもに宿る心であるなら、既にこの世に “特別”  など必要なく、同時に全て “特別” であると言えた。


必然は、常に偶然を装い配されている。

物事が必ずしも、用意された道を辿れないのは、そこに “心” が関わってくるからで、予期せぬ事柄は、良くも悪くも心を有し、それを示せた存在だけが左右する権利を行使できる。


どれほど大きな権限を持とうとも、それが叶わぬ位置にいては、宝の持ち腐れでしかない。


“特別” を望むのならば、“制限” が求められる。

“制限” 受けた時、“できる事” は限られる。

“できる事” を見失えば、“できなかった事” が増えていく。


言葉遊びの様な呪縛の連鎖は、『当然の結果』をうたってる。



“だからこそ”、“それ故の”、全てが揃う道がある。

見えざる者と視えてしまう者は、バランスの取り方を忘れ、世界の中で踊ってる。

踊らされている事を自覚せぬまま、箱庭の中の人形として、意のまま、気の向く様に配されて…。



告げぬ事には、意味がある。
秘める事には、意図がある。
黙する事には、事情がある。
記せぬ事には、理由があった。





目覚めを許した者は、彼女の意志そのままを護り抜くだけの用意をしてきた。

それができぬ場所に彼女を託す事を許せなかった。

覚醒は、彼女の生活を妨げるものであってはならない。

これは絶対の約束と、それが唯一の条件だった。

“ありし約定の地” にて開かれる謀、それは『これから』ではなく《今から》の事だった。


五つ目の時を迎え明かされたのは、何者よりも、誰よりも普通に平凡な日常の中で、芽吹いた小さく普遍的な心を宿す存在でした。


それは『世界』という視点から観た時、あまりにも些細で、些末な存在でしかなく、それが消えたとしても、大きな支障を感じさせないものでした。


しかし、『セカイ』の視点では違います。

一つ一つの儚くもある芽吹きの存在は、本来何ものよりも尊くて、それでも忘れられてしまう程の小ささなのでした。

再認識を忘れず、繰り返し行わなければ、直ぐに見失ってしまう位には、小さき欠片だったのです。



何を求め、何に気付ければ、見失う事などないのでしょうか?








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